6月10日(日)腱引き勉強会開催します。
6月10日(日)午後1時から京都芳田接骨院で大柳生の腱引き伝承者をお迎えして勉強会を開始します。
興味のある方は是非参加してね(^^)v。
参加資格は腱引き関係者だけでお願いします(^^)v。
大柳生は、奈良県と京都府の県境にある山間部の里である。江戸時代は柳生藩であり、その
藩祖は柳生宗矩である。柳生宗矩と言えばご存知の通り、幕府徳り|1家資1術指南役でもあり、
「新陰流」の一派である「柳生新陰流」の名を全国に広めた功労者でもある。柳生の剣法は、
剣術に定評のあった先代、石舟斎宗巌が新陰流流祖上泉伊勢守に敗れてから「新陰流」を修
めるようになり印可を受け、独自の進化を遂げ江戸柳生、尾張柳生と二系統に分かれながら
も「柳生新陰流」として現在まで伝わっている。
この「柳生新陰流」から派生したものが「柳生心眼流」である。したがって、今回面談し
た○○夫妻の受け継ぐ活法術のほうが、心眼流伝より古いものかもしれないし、心眼流活法
の元祖なのかもしれない。「新陰流」の資1術自体が、柳生宗巌の「無刀取り」など、柔術を
取り入れているところがあり、正に「柳生新陰流腱引き」である。
施術を受けるときは、「挫き(くじき)を治しにいく」などと言つていたらしい。当時の
共通認識として「筋(すじ)」の調整で身体が整うという理解はあつたようである。西洋医
学が今ほど影響力がなく、山間部の田舎では、医者もいないので、このような施術法が残っ
ていったのである。しかし、交通が発達し、医者が激増した現在ではこの技を伝承する者は、
○○さん以外皆無となってしまった。
○○さんが幼少の頃、お父さんが近所の腕の良い人のところでよく治してもらい、お父さ
んが見様見真似で、同じように家族を治していたそうである。ぎっくり腰や捻挫などは、正
に一撃改善であったらしい。このお父さんの技を受け継いだのが○○さんなのである。
多くの「腱引き屋」が生業(なりわい)としてというより、副業的に活動したように、大
柳生でもこれを生業とする者はいなかったそうである。例えば、○○さんの記憶によると呉
服屋さん(大正末期生まれ)で非常に腕め良い人がいたが、あくまで呉服商が工業、表業で
あり、施術で利益を得ていたわけではない。そして、このひとが、最後の「柳生流騰引き」
であり、この人が亡くなって以降、徐々に衰退していったのである。又、腕のよい人の中に、
この技を生かして職業として身を立てようとした人があり、大阪の柔道整復師学校へいった
が、開業直前に病に倒れ不帰の人となってしまったケースもある。ここでも「腱引き」は時
代の表舞台に出ることなく、ますます忘れ去られていってしまったのである。
技については、我々の学ぶ「腱引き」と共通点も多く見られるが、施術後は入浴を勧めな
いなど、真逆の伝承もある。「温もると入れた筋が戻る」と伝わっている。運動指導的なも
のはとくにないが、「外に開きすぎたら体は良くないので、内巻きに整える」など、筋内の
巻きに通じる口伝もある。
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